かるた


「日新公(じっしんこう)いろは歌」とは、薩摩国(鹿児島)の戦国大名・島津家中興の祖といわれる島津忠良(日新斉)が完成させた47首の歌です。

天文8(1539年)~14(1545年)頃に創作された日新公いろは歌は、薩摩藩の郷中(ごちゅう)教育の基本となり、薩摩で士道教育の教典ともなりました。




日新公いろは歌47首

意味
いにしへの道を聞きても唱へても・わが行にせずばかひなし 昔の人の教えを聞いて口にするだけでは意味がない。実践することが大事。
楼の上もはにふの小屋も住む人の・心にこそは高きいやしき 立派な御殿に住もうと粗末な小屋に住んでいようと、人間の価値は心のありようで決まる。
はかなくも明日の命を頼むかな・今日も今日と学びをばせで 勉学・修行を明日に先延ばして、明日自分が死んだらどうするのか。日々学ぶことが大切である。
似たるこそ友としよけれ交らば・我にます人おとなしきひと 自分と似たような人とは仲良くなりやすいが、自己研鑽するなら自分より優れた人を友とすることが良い。
仏神他にましまさず人よりも・心に恥ぢよ天地よく知る 神仏は自分の心の中にいる。他人よりも自分の良心に恥じよ。天地は全てを見通している。自分を欺くことはできない。
下手ぞとて我とゆるすな稽古だに・つもらばちりもやまとことのは 下手だと思って練習を怠ってはならない。稽古を続ければ塵も積もれば山となるで、少しずつ上達していく。
とがありて人を斬るとも軽くすな・活かす刀もただ一つなり たとえ罪のある人を処刑するときでも、軽々しく行ってはいけない。ただ殺すも、罪人を活かすも、君主の心一つで決まる。
知恵能は身につきぬれど荷にならず・人は重んじはづるものなり 智恵・芸能は身に着けて重荷になるものでもなく、多くのものを習い知り、自分のものにするべきである。世の人はそうした人を見て尊敬し、自己の至らなさを恥じるだろう。
理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき・心の駒の行くにまかすな 道理も法も通らない世の中でも、自分は正道を行く正義・人道を守り通せよ。自暴自棄になって勝手をするのは良くない。
盗人はよそより入ると思うかや・耳目の門に戸ざしよくせよ 盗人は余所から入ってくると思うかもしれないが、本当の盗人は目や耳から入ってくる。耳目から入ってくる誘惑を退け、人の良知を育てよ。
流通すと貴人や君が物語り・はじめて聞ける顔もちぞよき 自分が知っていることでも、目上の人の話すことは、初めて聞くという態度で聞くのが良い。その話を知っていることを横柄に顔や言葉に出してはならない。
小車の我が悪業にひかれてや・つとむる道をうしと見るらん 人は怠惰な気持ちに引かれがちで、仕事が辛くなるとそれを怠って、段々と落ちぶれていく。自分の職分を持って、真面目に働くべきである。
私を捨てて君にしむかはねば うらみも起こり 述懐もあり 武士は君主に仕えるとき、私欲を捨てねば、不平不満が出てくる。自分の一身を捧げて君主に仕えよ。
学問はあしたの潮のひるまにも なみのよるこそ なほ静かなれ 学問は朝も昼も治めるべきではあるが、最も学びに適している時間は静かな夜である。
善きあしき人の上にて身を磨け 友はかがみと なるものぞかし 他人の善悪を見て、良いと思ったところは見習い、悪いと思ったところは反省して自分を磨け。そういった意味では、友人は自分の鏡ともなる。
種子となる心の水にまかせずば 道より外に 名も流れまじ 欲を捨てて良心に従えば、人の道を外して名を汚すこともない。仏心、人の道に従って正道を行くべきだ。
礼するは人にするかは人をまた さぐるは人を 下ぐるものかは 相手を見て礼を尽くしたり、見下げたりすることは、結局自分の価値を下げることになる。誰にでも謙虚で礼儀正しく接すること。
そしるにも二つあるべし大方は 主人のために なるものと知れ 家臣が主人を悪く言うのは、ただの不平不満の場合もあるが、大方は主人を諫めるために言うものである。時には家臣の話を聞いて、反省すべきである。
つらしとて恨かへすな我れ人に・報い報いてはてしなき世ぞ 人に辛い仕打ちを受けても、恨み返して良いことはない。お互いの報復が延々と続いて、終わりのない戦いになる。
願わずば隔もあらじ偽の・世に誠ある伊勢の神垣 過分な願いを起こさず、自分の本分を尽くせば、お伊勢さまは分け隔てなく人々を守ってくださる。
名を今に残し置ける人も・こころも心何かおとらん 後世に名を残した人も同じ人間で、心も同じ人の心であるから、偉人を見習って努力すれば人格が育てられていく。立派な人間になるには努力が必要である。
楽も苦も時過ぎぬれば跡もなし・世に残る名をただ思ふべし 人生の苦楽は生きている間だけのものだが、名前は死後も残る。子孫のためにも、生きている間に良い心掛けをすることが大切である。
昔より道ならずして驕る身の・天のせめにしあはざるはなし 昔から道理に外れて驕る人に、天罰を受けなかった人はいない。正道を行き、驕る心を遠ざけて謙虚に生きるべし。
憂かりける今の身こそはさきの世と おもへば今ぞ 後の世ならん 嫌なことの多い現世は、前世の報いである。現世の行いは後の世につながっていく。すべて因果応報である。
亥に臥して寅には起くと夕露の 身を徒に あらせじがため 亥(午後10時)に寝て、寅(午前4時)に起きるのは、身体の健康を維持するためである。徒(いたずら)に夜更かしをすれば、心身が乱れる元となる。
遁るまじ所をかねて思ひきれ 時にいたりて すずしかるべし 逃れられない状況でも、思い切って決断すべし。武士は日頃から、いつか命をかけねばならない日が来ると覚悟を決めていれば、いざというとき、清々しい気持ちで物事に当たることができる。
おもほえず違うものなり身の上の 欲をはなれて 義を守る人 私欲を離れて正義を守る人は、凡人とは違った風格がある。
苦しくも直進を行け九曲折の 未は鞍馬の さかさまの世ぞ 苦しいからといって、人の道を外れてはならない。人道に外れた行いをすれば、最後に自らを滅ぼすことになる。
やはらぐと怒るをいはば弓と筆 鳥に二つの 翼とを知れ 優しさと怒りは、武士にとって弓と筆のようなもので、鳥が比翼で飛ぶように、欠かすことのできないものである。優しさと怒りを上手に使い分けられる人が、人の心を掴む。
万能も一心とあり事ふるに 身ばし頼むな 思案堪忍 万能一心ということわざがあるが、心が正しくなければ才能は役に立たない。自分の才能をひけらかさず、思案して上手い才能の使い方を覚えるべきである。
賢不肖用い捨つるといふ人も 必ずならば 殊勝なるべし 賢い人を登用して、愚かな人を捨てるのが道理だろう。だが、人を公平に見ようとすれば、能力だけでなく人柄なども含まれてくる。能力だけで人を判断するのは難しい。
不勢とて敵を侮ることなかれ 多勢を見ても 恐るべからず 敵が少数だからといって侮ってはいけない。また、敵が多数でも恐れるには足らない。少人数でも団結すれば大敵を破ることができる。
心こそ軍する身の命なれ そろふれば生き 揃はねば死す 将兵の心持ちが戦いを決する。皆の心が一つになっていれば戦いに勝ち、揃っていなければ負ける。
廻向には我と人とを隔つなよ 看経はよし してもせずとも 戦死者は敵味方分け隔てなく弔い、冥福を祈れ。慈悲の心を持てば、読経はしても良いが、しなくても良いものである。
敵となる人こそ己が師匠ぞと 思ひかへして 身をも嗜め 敵や気の合わない人こそ、師匠と思って見てみると良い。反面教師として、自分の手本とすれば良い。
あきらけき目も呉竹のこの世より 迷はばいかに 後のやみじは 光あふれるこの世で迷っていたら、死後の暗い世界ではますます迷うことだろう。現世の罪は来世まで影響する。目先の欲に捉われず、先を見て行動すべきである。
酒も水ながれも酒となるぞかし ただ情あれ 君が言の葉 君主の言葉に情けがなければ、酒を与えても水のように感じる者もいるだろう。君主に思いやりの心があれば、少しの酒でも臣下は奮い立ち、忠義を尽くそうとする。
聞くことも又見ることもこころがら みな迷なり みなさとりなり 私達が見聞きすることは心の持ちようで、迷いともなり、悟りともなる。
弓を得て失ふことも大将の こころひとつの 手をばはなれず 大将の心一つで軍の士気は上がったり下がったりするのだから、日頃から部下の心を掴んで離さないことが大切である。
めぐりては我が身にこそつかへけれ 先祖のまつり 忠孝の道 先祖を祀ることや、忠孝の道に尽くすことは、やがて自分に廻ってくる。先人を敬うことをおろそかにしてはならない。
道にただ身をば捨てんと思ひとれ 必ず天の 助けあるべし 自分が正しいと思う道を選んだならば、身を捨てる覚悟で突き進め。必ず天の助けがあるだろう。
舌だにも歯のこはきをばしるものを 人は心の なからましやは 舌でさえ歯の硬さを知っているから噛まれない。まして人は心がある。世の中を上手に渡っていくには、人の心の正邪善悪を見る、相手の気持ちを考えることが大切である。/td>
えへる世をさましてやらで盃に 無明の酒を かさねるはうし ただでさえ迷いやすい世の中で、酒に酔って迷いを重ねるのは愚かなことである。今自分が何をすべきか、自問することが大切である。
ひとり身をあはれとおもへ物ごとに 民にはゆるす 心あるべし 一人身の老人、孤児、寡婦など孤独に生きるもの者を労わり、人には慈悲の心で接しなさい。
もろもろの国やところの政道は 人にまづよく 教へならはせ 国や地方の政治は、まず市民に教え諭した上で行え。教えないで罰するのは不仁である。
善に移りあやまれるをば改めよ 義不義は生れ つかぬものなり 人の善悪、義、不義は生まれつきのものではない。善人になるよう努め、過ちに気付いたらすぐに改めよ。
少しきを足れりとも知れ満ちぬれば 月もほどなく 十六夜の空 少し足りないのがちょうど良い。月も満月(十五夜)の次の十六夜から欠け始める。欲深くならず、程々で満足するのが良い。

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