1539年~1599年(享年61歳)
長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、土佐国の戦国大名です。
土佐統一後、四国統一に乗り出しましたが、天下統一を目指す豊臣秀吉が四国攻めを行い、降伏した元親は豊臣の家臣となりました。
長宗我部元親の家紋
長宗我部家の家紋は七つ酢漿草です。
「酢漿草を財布に入れておくとお金が減らない」という迷信があったことから黄金草とも呼ばれ、その縁起の良さから家紋として用いられるようになりました。
長宗我部家は、祖先の長宗我部能俊が信濃から土佐に下向するとき、別れの盃に酢漿草の葉が七枚浮いていたことから、七つ酢漿草を家紋にしたといわれています。
長宗我部元親の生まれ
元親は天文8年(1539年)、土佐国岡豊城(高知県南国市)で生まれました。幼少期は色白で細身、臆病な性格であったことから家臣たちに「姫若子(ひめわこ)」と揶揄されており、父・国親は跡継ぎとして立派に育ってくれるか悩んでいました。
元親は武術より学問が好きだったため、学んできた兵法が後に活かされていきました。
元親は23歳のとき、弟の親貞と土佐郡朝倉城主・本山家を攻める長浜の戦いで初陣し、戦前に家臣・秦泉寺豊後に武将としての心得と槍の使い方を学びました。
実際に出陣すると、元親は襲い掛かってきた敵兵を見事に突き崩していったことから、その勇猛さを讃えて「鬼若子」と称され、永禄3年(1560年)に父が亡くなると、元親は長宗我部家の家督を継ぎました。
土佐平定
当主となった元親は領土拡大を目指し、長浜の戦いで争った本山家と永禄4年(1561年)~永禄11年(1568年)の7年間にわたる攻防戦を続けました。
最終的には本山茂辰が病死したことで本山軍は長宗我部軍に降伏し、長宗我部家は土佐中部を平定します。
天正3年(1575年)、土佐国司を治めていた一条兼定と四万十川の戦いを起こし、元親は弟の親貞と一条家を滅ぼして土佐国を統一しました。
四国統一
天正8年(1580年)、土佐統一から四国統一に乗り出した元親を織田信長が牽制し、土佐国と阿波南半国の領有を認めて臣従するよう言いましたが、元親はこれを拒否しました。
信長と敵対した長宗我部家でしたが、天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が死去したため、元親は危機を脱しました。
翌年に起こった賤ヶ岳の戦いで、元親は柴田勝家に付きました。そのため豊臣家臣・仙谷秀久が元親の守る屋島城・高松城へ侵攻してきましたが、長宗我部軍は城を守り切りました。
しかし、勝家が豊臣秀吉に敗北したため、豊臣軍は次に元親を討つため四国に攻め込んできました。
四国攻め
天正13年(1585年)、秀吉により羽柴秀長率いる10万の軍が元親の領土まで侵攻し、長宗我部方の城を次々に攻略していきました。
長宗我部軍は抗戦を続けたものの、本拠としていた阿波国・白地城まで秀長の軍が侵攻してくると、元親は秀吉に降伏します。
その後、阿波・讃岐・伊予の領土は没収され、土佐のみ領国とすることを許されました。
九州征伐
天正14年(1586年)、島津家久率いる島津軍と豊臣軍の仙谷秀久が戦う戸次川の戦いが起こり、元親は豊臣軍として嫡男の信親と出陣しました。
しかし、この戦いで先陣隊にいた信親が討ち死にし、戦いも豊臣軍の敗北に終わりました。元親は信親の後を追って自害しようとしましたが、家臣に諫められて伊予国まで逃げ延びます。
その後、天正18年(1590年)の小田原征伐では長宗我部水軍として小田原城を包囲し、朝鮮出兵でも水軍として豊臣軍の戦い参戦しました。
晩年の元親
慶長3年(1598年)の秀吉没後、翌年から元親も体調を崩すようになりました。元々元親は嫡男・信親の死後から覇気を失い、精神的に衰弱していました。
元親は病気療養のため伏見城に滞在し、名医が治療に当たったものの病は治らず、四男・盛親に遺言を残して亡くなりました。
長宗我部元親の逸話
元親と饅頭
元親が秀吉の家臣となった後、ある日舟遊びに参列していた家臣たちは、秀吉から饅頭をもらいました。家臣たちはすぐに饅頭を食べましたが、その内元親は饅頭を少しちぎって食べただけで紙に包みました。
それを見た秀吉がその饅頭をどうするつもりなのか元親に尋ねると、元親は「太閤殿下から頂いたものなので、自分の家臣たちにも分け与えたい」と答えました。その答えに感心した秀吉は、残っていた饅頭を全て元親に与えたといいます。
一領具足
元親が領土とした土佐国を支えていたのは、一領具足と呼ばれる人々でした。一領具足は半農半兵の人々で、普段は農作業で働き、戦になると出陣する役目を持っていました。
元親は一領具足の人々を大切にし、農作物の収穫期には召集をかけないようにするなどの配慮も行っていました。また、一領具足の人々も元親を信頼し四国征伐にも参戦しましたが、秀吉の大軍の前には抗戦しきれず、長宗我部軍は秀吉に降伏することになりました。
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