1572年~1622年(享年50歳)
京極 高知(きょうごく たかとも)は、丹後宮津初代藩主です。はじめ豊臣秀吉に仕えていましたが、その後徳川家康に仕えて丹後12万3000石の国持大名となりました。
京極高知の生まれ
京極高知は近江守護の名門・京極高吉の次男として生まれました。豊臣秀吉に仕えて舅である毛利秀頼の遺領を継ぎ、信濃飯田城主として6万石を領しました。文禄3年(1594年)には10万石に加増され、領内でのキリシタン布教を許可し、自らもキリシタン大名となります。
丹後宮津藩主
秀吉死後は徳川家康に接近し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは大谷吉継隊と戦って戦功を挙げ、丹後12万3000石を与えられました。高知の死後、丹後の領地は嫡男・高広、三男・高三、甥・高通の3人に分封し、宮津藩・田辺藩・峰山藩の3つに分割されます。
嫡流は宮津7万8200石の領主となり3代で改易されましたが、その子孫が高家旗本として取り立てられ幕末まで続きました。田辺藩は3代で但馬豊岡へ転封となり、峰山藩は幾人もの若年寄を出すなど譜代格の大名として存続しました。