?~1634年
京極 竜子(きょうごく たつこ)は、京極高吉の娘です。若狭守護・武田元明に嫁いだ後秀吉の側室となりました。絶世の美人であったとされ、秀吉からは淀殿に次ぐ側室として寵愛されていました。
京極竜子の生まれ
京極竜子は京極高吉と浅井久政の娘・京極マリアの間に生まれました。兄に高次、弟に高知がおり、浅井長政は叔父に当たります。また、浅井三姉妹(茶々、初、江)とは従妹関係です。
竜子は初め若狭守護・武田元明に嫁ぎ、2男1女を生みました。その後、元明は大飯郡石山3,000石の支配を織田信長から許されたので、竜子も石山城(福井県おおい町)で夫と暮らします。
本能寺の変で元明は明智光秀に付きましたが、山崎の戦いに敗北して丹羽長秀・羽柴秀吉の連合軍に討たれました。その後、寡婦となった竜子は秀吉の側室となり、大坂城西の丸に屋敷を与えられたことから西の丸殿、次いで伏見城に移ると松の丸殿、京極殿などと呼ばれました。
秀吉死後は兄・高次の住む大津城に身を寄せ、関ヶ原の戦い後は出家して「寿芳院」と号します。大坂夏の陣後は、淀殿の侍女(菊)を保護し、処刑された秀頼の息子・国松の遺体を引き取って誓願寺(京都市中京区)に埋葬しました。
寛永11年(1634年)、竜子は京都西洞院の邸で死去しました。墓所は豊国廟(京都市東山区)にあります。